電気が消えても夜にはさせない①
前に進むために必要だから書く。誰かに評価されるためではなく、完全に自分のために書くのだ。評価されたいという気持ちが無いわけではない。でもそれは目的ではない。こうして明記しておかなければ自分がやりたいことも、やろうとしていることの目的も忘れてしまうような脆弱な私だから、こんなことになってしまったのだろう。
切迫感
書かなければ、という思いが込み上げ、私の内側から言葉を吐き出させる。それは文章になることもあれば、有象無象の何かにしかならないこともある。がらくたはバックスペースキーに飲み込まれ、辛うじてその形を保っているものだけを仕舞い込む。仕舞い込まれたものは知らない間に蓄積され、いつかその量の多さを目の当たりにした時、漸く私は愕然とするのだ。「ああ、こんなに多くの白紙を無駄にしてしまった」と。
それが「生きる」ということだろう、と信じ込んでここまで来た。言葉を吐き出し続け、自身の中身が飛び散る様を見ながら、吐瀉物がなすりつけられた少し前まで白紙だったものを見ながら、それでも僕はこの生き方が好きだった。考えることをしない人間はさぞ幸せなのだろう、羨ましいものだ、などと抜かしながらも陰では彼らを嘲笑していた。痛みを感じられることが他人よりも優れていることの証明であるかのように振る舞い、満面の笑みを浮かべながら痛い痛いと絶叫していた。周りの視線を気にしすぎていた僕は、手っ取り早く評価される道を選んでしまっていた。「コピー」言い訳はちゃんとあるんだ、少し聞いて欲しい。
これは私が、「僕」という一人称を使って書く最後の文章だ。