拝啓、期待していいかい?

自分で歩けるようになるための材料たち。抽象度高めです

2017

二年参りをする人混みに揉まれながら、大好きな人とあったかい梅酒を飲んでいたら年が明けた。

新年を一緒に迎えることができて嬉しい。嬉しいのだが、テレビやら何やらを全く見ない生活をしていたせいで年末の雰囲気を少しも感じずにここまできてしまった僕にとって、12月31日が1月1日になる瞬間は僕が願う以上に日常性に薄められてしまっていた。無念。

不規則な生活リズムのせいで時間感覚が狂っていたのも敗因の一つだった。深夜零時、そんな時間に一緒にいられるのは特別なはずなのに、僕の体は午後6時くらいだった。新年の特別感なんて薄れる一方である。これもまた無念。

とはいえ、やっぱり一緒に過ごせるのは嬉しい。他愛もない話をしながらときどき時間を確認して、形ばかりの「今年」を名残惜しんでみる。久しぶりにお酒を飲んで、少々楽しくなっていたようだ。
「あと8分だって」
「はやいなあ。さらば2016だね」
寒い寒いと言うからマフラーとカイロを貸してやると、「あったかい。もうこれがないと生きていけない」と言いながら顔をうずめていた。ちくしょう、かわいいじゃねーか。

 

気づいたら年が明けてたという事態は回避したものの、0:00と表示する画面に現実味を感じられないまま「あけましておめでとうございます」と言い合って少し笑う。今年も楽しく過ごせたらいいな、と思う。誘ってよかった。

日付が変わる前にお参りしたけれど、もう一度お参りしようと長蛇の最後尾に向かう。高校生の時の話とか、好きなバンドの話をしていたらあっという間だった。寒そうにしているのだけが心配だった。

「付き合わせてごめん。これで体調くずしたら申し訳ない」
「いいよ。それに体調くずしたら看病してくれるでしょ?」
「……頑張ります」
「おかゆ作ってとか言っても既製品買ってきた上によくわからないシロモノを提供してきそう」
「それは酷い、だけど否めない」

二礼してお賽銭を投げ入れ、ガラガラと鈴を鳴らし、拍手を二回。
一緒に手を合わせてお参りできたことがひたすらに嬉しいとかなんとか考えていたら願い事なんて思いつく暇もなかった。

そのあとはおみくじを引いて帰った。寒かったから適当なお店に入ろうかと思ったのに、深夜2時をまわっていたせいで目ぼしいところはすべて閉まっていた。全然来ない電車を待って何駅か移動してファミレスに入り、今話さなくてもいいであろうことをいろいろと話した。新年の抱負とか、一年の振り返りとか、そういう話は確かに僕たちには似合わなかった。形態素の話とか、プログラミングの話とか、お互いの過去について少しだけ話していたら4時半になった。

 

「今年もよろしくおねがいします」
「とりあえず、またすぐ会おうね」
「はい、良いお年を!」
「その挨拶は今じゃないけど良いお年を」


駅でそう言って別れた時にはもう5時になりかけていた。どうせなら初日の出も一緒にみたかったけれど、冬の日の出は遅い。日の出はまた今度だな、べつに初日の出じゃなくてもいいし。手を振って見送って、僕は明け方の街に踏み出した。家までは歩いて帰る。日常に溺れそうな僕の、ささやかな抵抗だった。